夏が近付くと泣きたくなるのは何故だろう

明日は八十八夜。もうすぐ夏です。また夏が巡ってきます。

毎年のことなのですが、夏が近付くと泣きたくなるような切ない気持ちに襲われることがあります。日本には四季があるのに、何故こんなに夏は特別な感情をかき立てるのでしょうか。

恐らくそれは個人差があって、子供のころの想い出や過ごした場所、人によって印象深い感情を揺さぶられる季節は違うのかも知れません。

私の場合は間違いなく、夏です。フラッシュバックのように蘇るシーンは、子供のころ過ごした祖父母の家での出来事です。海が目の前にある祖父母の家では、夏休みになるたびに親戚の子供達が集まって海水浴を楽しんだり、西瓜を食べたり、花火をしたり、祖母の作ってくれたまんじゅうや鰺寿司に舌鼓を打ちました。

ジリジリと焼け付くようなアスファルトの上を歩き続けて、向こうから白いワンピースと麦わら帽子の女の子が陽炎のようにぼやける地平線に姿を見せ、次にみたときにはその姿はもうどこにもなくて。あれは実際の出来事だったのか、夏休み昼寝しているときにみた夢に過ぎなかったのか。

実際に体験した記憶に、その後の読書や映画、テレビなどで得た情報が最も自分の都合の良い記憶と結びついて、あのなんとも言えない切ない甘酸っぱい気持ちにさせてくれるのでしょう。

昨晩、Netflixでテレビ版金田一耕助シリーズの『獄門島』を観たことが、またその記憶を蘇らせる触媒になったに違いありません。もちろん、殺人なんて物騒なことは子供のころに経験したことは無いですが、孤島の夏、打ち寄せる波、振り返ると空を切り取る濃い緑の山、作品背景の時代的には私の子供時代よりもよほど前なんですが、それでもあの祖父母の家で過ごした日々と時間がそのままあたかもこうであったかのように感じられるのです。

55歳を迎えようとしている私にとっては、そろそろ毎年夏を迎えられること自体に感謝しなければなりません。しかもこのコロナ禍の時代、健康でまた夏を迎え、そしてあの幻のように微かな、でも絶対に忘れることのできない夏の記憶を、今後もずっと味わえると良いなぁと、心の底から感じる日々でございます。