わたしが初めて『スター・ウォーズ』を観たのは、確か小学校6年生か中学校1年生のころです。ショックのあまり、上映が終わっても席から立てなかったことを覚えています。ご多分に漏れずハマってしまい、野田昌宏さん訳の小説版の初版本を買ったり、エックスウィングやワイウィングなどの戦闘機の絵を描いたりしていました。当時、わたしは演劇部に所属していたのですが、文化祭で『スター・ウォーズ』のスピンアウト的な劇もやりました。そう言えば、シナリオも書いたのですよね。
ただ、一つだけ、子供心にも『スター・ウォーズ』を観て納得いかない点がありました。それは、「いくら弱点とはいえ、あんな小さな爆弾一発で、あの大きなデス・スターが破壊されてしまうものだろうか」ということでした。子供だったわたしにとって、その一点が『スター・ウォーズ』はリアリティのない所詮マンガでありファンタジーに過ぎない、という折り合いの付け方をせざるを得なくさせるものでした。
そのまさに35年間のもやもやを『ローグ・ワン』は氷解させてくれたのでした。あの弱点は設計上のものではなく、意図的に組み込まれたもので、しかもその背景にはあれほどの人間模様と多くの犠牲があったのだと。おそらく、ジョン・ノール、ゲイリー・ウィッタ、クリス・ワイツ、ギャレス・エドワーズあたりも、その点がずっともやもやと納得いかなかったんじゃないでしょうか。それをこの作品を描くことでスッキリしたかったのかな、などと観ながら思っていました。
次に印象的だったのは、シナリオの巧みさでした。序盤のいくつもの場所で発生するイベントをきれいに終盤のスカリフへ収束させていく流れ。主人公のジンと父親のゲイレンの物語、キャシアンら反乱軍のスパイたちの人生、悪役のオーソンの失脚・蹉跌、チアルート、ベイズの友情など脇役にも手を抜かないディテール。すべての要素が、あのラストシーンの輸送船タンティヴIVにおけるレイア姫の台詞「『希望』です」に凝結していきます。レイア姫が登場したときは、鳥肌が立ちました。
登場人物やそれを演じる役者たちも素晴らしかったです。ゲイレン役のマッツ・ミケルセン以外はわたしは全然知らない俳優・女優ばかりでしたが、みな上手かった。わたしはキャシアン役のディエゴ・ルナの悲哀に満ちた演技がよかったと思いました。子供のころから暗殺者やスパイとして働かざるを得なかった彼が、ついに死に場所を見つけたときの嬉しそうなこと!
アメリカ映画ならではのお遊びもたくさんありましたね。ドニー・イェン演じるチアルート・イムウェは明らかに「座頭市」のオマージュですね。それから、ターキン総督などの懐かしいメンバーの再登場(彼がCG合成であることは事前に知っていました)。レッドリーダーとゴールドリーダーも出ていましたね。あれも合成なのでしょうか。ネタとして残念だったのが、ウェッジ・アンティリーズが出てこなかったことです。フォースなしで戦えるキャラとしてはチアルート以上の猛者です。最後のドッグファイトでは姿を見せて欲しかった。
久し振りに映画を観て泣きました。泣いたのは、エンドクレジットで。これだけのエンタテインメントを作った人たち、監督、シナリオライター、全ての関係者の方々に対する、賛辞と、歓喜と、そして嫉妬の涙でした。ああ、わたしもこういう創作をしたい、エンタテインメントを書きたい。自分はこの30年近く、何をやって来たんだろう、そういう涙でした。そういう意味で、わたしの創作意欲をグサグサと刺激してくれる作品でした。文句なしの傑作です。