こういうことを小説家志望の人間が言うと怒られそうなのですが、わたしは今まで村上春樹さんの小説を読んだことがありませんでした。何かを読んで嫌いになったとかそういうわけでもなく、ただ世間の話題や評判を耳にして、なんとなく敬遠していたのでした。
そのわたしが、今回村上春樹さんの小説を読んでみようと思い立ったのは、敬遠していたのと同じくらい些細なきっかけで、それは単に題名が『騎士団長殺し』だったからです。「デモンズソウル」や「ダークソウル」といったゲームが好きで、小説でもジョージ・R・R・マーティンの『氷と炎の歌』シリーズを愛読しているわたしはタイトルを見ただけで、おお、村上春樹がファンタジーを書いている! と勝手に思い込んで、それであれば読んでみよう、とその上下巻を購入したのです。
わたしは本を買うときに立ち読みをしませんし、ポップや帯も目に入れないようにしています。タイトルだけ見て、いいなと思ったら買う、という一か八かの買い方なので、実際にページをめくるまでは中身は分からないのです。当然、『騎士団長殺し』、いくら読み進めてもファンタジーの気配はありません。そして男女の濡れ場が出てきて、ああ、これは違うなと思い始めたころ、主人公が一枚の絵に出会います。そこに描かれていたのが「騎士団長」でした。それもわたしの思い描いていた「騎士」とはまったく違うすがた形をしています。
しかし、もしかしたら本業は殺し屋かなにかじゃないかと思わせる男が登場し、おそらくヒロインに相当するであろう美少女が登場するにおよんで、わたしはいつの間にか時間を忘れて夢中で読み進んでいました。お話はサスペンスに満ちたミステリーのようでもあり、冒険小説の様相すら見せてきます。そして、実際に「騎士団長」が登場するに至っては、時空も歪みまくって、それこそファンタジーではないかと思わせるような展開です。そこからあとは、初めて村上春樹を読んだわたしが、下巻のラストまで一気読みでした。
読み終わったわたしが最初に思ったこと。それは、『騎士団長殺し』はファンタジーだ、ということでした。読む前に期待した竜や剣や魔法が飛び交うファンタジーではありませんが、例えるならば、『ハリー・ポッター』や『不思議な国のアリス』といった方面のファンタジー。騎士団長は『アリス』の白ウサギでありチェシャ猫ですよ。主人公を摩訶不思議な時空に誘って、そして主人公はおそらく自分の内なる葛藤と戦って、勝つ。「白いスバル・フォレスターの男」はハートの女王だし、免色は帽子屋。「顔なが」はさしずめ三月うさぎといったところでしょうか。ラストに主人公が「元の世界に戻る」という展開も『アリス』や『オズの魔法使い』といったファンタジーを彷彿とさせます。
「村上春樹」初見のわたしはこの小説を論じるつもりはありません。ただ、「大人のファンタジー」として非常におもしろく読めたことは確かです。主人公の年齢からして「あの曲」を懐かしく聴くのはおかしいだろうとか、いろいろと細かい指摘は可能でしょうが、そもそも「不思議の国」では時間も空間も歪んでいるのです。「顕れるイデア」で主人公は旅立ち、「還ろうメタファー」で主人公はカンサスシティーの家に戻ったのです。とても楽しい時間を過ごすことができました。村上春樹の本、全部読んでみようとさえ思いました(実際、『1Q84』を全巻買いました)。
ああ、それからもうひとつ。うちにもひとり、「騎士団長」がほしいなぁ、と思いました。視線を感じて振り返ったら、ちょこんと本棚の上に座ってたりしてくれないかな。