川奈まり子さんの『迷家奇譚』で癒やされるのは何故だろう

子供のころ、わたしは龍を見たことがあります。

小学生か、もしかしたら小学校にあがる前のことかもしれません。母方の祖父母の家を夏休みに訪れたときのことです。その日は台風の上陸とぶつかってしまい、夏休みは佐賀関の海沿いの祖父母の家で過ごすことを毎年楽しみにしていたわたしは、海で泳ぐこともできず、ただ荒れ狂う海を見ていることしかできませんでした。

真夜中。ふと目が覚めたわたしは蚊帳がつられた寝床を抜けだし、雨戸を少し開けて海の方を見ていました。祖父母の家の前はすぐそこに海岸線が迫っているのです。記憶では、台風の最中なのに妙にしずかで、風も波も治まっているように見えました。窓からは正面に蟹の形をした島が見えるのですが、突然その島から湧きいでるように一筋の金色の光が渦を巻きながら天に向かって昇っていきました。

龍でした。

いま考えてみるとそのあとの記憶がないですし、夢を見たのか、あるいは落雷を龍と見間違えたのかもしれません。しかし、その不思議な感覚は今でも生々しく残っていますし、子供のころの他の記憶は大して残っていないのに、その龍の記憶だけはいくつになっても消えることはないのです。

このような不思議な記憶や経験は、誰しもが多かれ少なかれ持っているものだと思います。特に、子供のころ感じたり見たりした不思議なもの、あやかし、怖いもの。実体はないけれどやけにリアルで、こころから決して消えないもの。もしかしたら、幼いときに当たり前のように訪れていた、この世とあの世の狭間。大人になってからは決して訪れることのできないところ。

川奈まり子さんの『迷家奇譚』はそういうわたしたちの心の底に埋もれた経験や記憶をそっと掘りおこして、懐かしいような切ないような気持ちにさせる本です。帯には「怪談実話」とか「オカルト・ルポ」と書かれていますが、わたしはこの本は「怪談本」というよりも「民俗学の本」であると思います。興味本位に恐怖という感情を逆撫でするのではなく、わたしたちが過ごしてきた日本という国の生活、社会、風土、そして民族としてのDNAまで解きほぐすように語りかけてくれます。

わたしはホラーが苦手で、怖い本は好きではないのですが、この本は、学生のころに読んだ『遠野物語』と同じように、何度も繰り返して読み、忘れかけていた幼いころの自分に会いにいきたいと思います。