映画『手紙は憶えている』を見て記憶と人生について考えた

劇場で見損ねて、 Blu-ray 化を心待ちにしていた『手紙は憶えている』をようやく観ました。とても良かったです。

重い認知症を患い、妻とともに施設に入った主人公の老人が、妻の死を機に同じ施設にいる友人から手紙を託されます。その手紙には、認知症になる前に主人公が決意した内容が詳細な手順とともに記されていました。友人は主人公に、妻が亡くなったら実行することになっていた、と伝えます。その内容とは、第二次世界大戦中に主人公と友人の家族をアウシュビッツで虐殺したナチスの親衛隊を探し出して殺す、というものでした。家族の仇を討つために旅立った主人公が最後に見たものは……。

ヨーロッパではメジャーなテーマと言ってよい「戦争犯罪者追及物」ですが、戦争経験者の高齢化を背景とし主人公を重い認知症にすることによって「どんでん返し」のミステリとすることに成功した物語で、シンプルなストーリーなのですが、シナリオが巧みに主人公のとまどいと混乱を描くので、非常にサスペンス性に富んだ出来になっています。また、俳優陣が見事な演技で物語に重厚さを与えており、ただのサスペンス・ミステリーで終わっていないです。

物語を作る観点からは、登場人物の配置の仕方が非常に勉強になりました。列車の中で出会う少年、同性愛者であったために収容所に入れられた男、ナチ信奉者の息子、病院で出会う少女など、脇役がシナリオ上効果的に、それぞれ意味や役割を負って配置されています。ひとりとして無駄な登場人物がいません。わたしは小説を書くとき、登場人物が多くなってしまう癖があるのですが、その理由が分かったような気がしました。確固としたシナリオ、あるいはプロットがないからではないか。そのため登場人物の必然性と役割がきちんと割当たっていないのではないか、と。

それにしても人間の記憶とは何と曖昧で自分勝手なものなのでしょう。人は自分の心を守るために、ときに記憶を都合のよいもので上書きしてしまうことがあるそうです。そうなったとき、人は何が事実だったのか自分では分からなくなります。もっと言ってしまえば自分の人生さえ何であったのか分からなくなってしまいます。そうなってしまっても、果してそれまで生きてきた人生というものに意味はあるのでしょうか。

しかし、一方で、主人公は最期に本当の記憶を取り戻したようでしたが、果してそれが幸せなことであったのかどうか難しいところです。記憶が個としての人間を定義しうる唯一のものなのであるとすれば、それは魂と同義になります。我々はずいぶんと不安定で漠然としたものにすがって生きているのだなあ、と思い知りました。