是々非々の大切さとわたしが心がけていること

今日のCNNニュースで、中東のサウジアラビアなどとカタールが断交したきっかけとなったのは、ロシアによるフェイクニュースである可能性が高いとして米当局が捜査を開始したという報道を目にしました。

もともとカタールは比較的イランに近いと言われていましたし、ムスリム同胞団やパレスチナのイスラム過激派組織ハマスを支援しているとも言われており、中東湾岸諸国の中では異質な存在でした。しかしそれは今に始まったことではないにもかかわらず、このタイミングでの国交断絶、しかも内容を見てみるとカタールから宣戦布告されてもおかしくないような断絶関係に陥ったのでした。

この件に関する記事をいくつか読んでみると、フェイクニュースはロシアではなく、トランプ米大統領の中東訪問の際に敵扱いにされたイランによるものであるといった説や、当のトランプ大統領のツイートを引き合いに出してトランプ大統領が教唆したものであるといった説がまことしやかに流布されています。

いったい何が真実なのでしょうか。こういった「何を信じて良いか分からない」という感覚は、ネットが当たり前になり、SNSが普及してから特に頻繁に感じるようになってきました。日本国内でも某学園問題を巡る国会の議論やそれに関するネットの情報を見ていると、本当に何を信じてよいのか分からなくなります。

そういうとき、おそらく一番楽な方法は、ある特定の勢力や考え方を持った集団に思想的に依存してしまうことです。「かんがえかたのものさし」が常に同じですから、物事を判断することがとても楽になります。コピペ世代やマニュアル世代には肌に合いそうな方法です。

TwitterなどのSNSを見ていて、以前から面白いなぁと思っていたことがあります。それは、わたしはTwitterのアカウントを、作家や言論関係の方々を中心にフォローしているものと、趣味のゲームに関する情報を集めるためのものと2つ持っているのですが、ある話題に関する考えや意見がそのふたつのアカウントのタイムラインで真っ向から対立するのです。

これは、真実というものの性質を良く表していると思います。事実というものはひとつしかなくて、たいていの場合、それを知らされることはありません。一方、事実が本当に起きた実像だとすると、真実というものは、人の価値観や感情、期待、そういったものが重なり合ったうえに結ばれる虚像ですから、立場が違えば全く違うものになります。Twitterのタイムライン上には、おそらくここでいう虚像が飛び交っているわけです。

この虚像に惑わされず、自分としての考えを持つためにはどうすればよいのでしょうか。これについては、それこそ唯一の答えというものはないのですが、わたしは「是々非々」という考え方が一番大事なのではないかと考えています。是々非々とは荀子のことばで、大辞林によると「一定の立場にとらわれず、よいことをよいとして賛成し、悪いことは悪いとして反対すること」という意味です。

当たり前のことのようですが、これがなかなか難しいのです。なぜなら、ある特定の勢力や考え方を持った集団が用意してくれたものさしを使うことができないからです。ものさしは自分で作らなければなりません。わたしはこういう問題に直面したとき、次のことに注意するようにしています。

  1. Twitterのタイムラインや記事のタイトルだけで判断せず、必ずリンク先を読む
  2. その問題に関する記事や文献を最低でも5つは読む
  3. いままで学校や社会で学んだ知識をフルに動員して判断する
  4. 自分の価値観と良心で判断する

たいていの問題は3つめで結論が出ると思いますし、やはり感情や情緒よりも論理や合理性を優先して判断すべきだと思います。しかし、それでも結論が出ない場合は、これはもう自分の心に聞くしかなく、それはとりもなおさず親から受け継いだ価値観だったり自分が生きてきて培ってきた良心だったりするわけです。

ですから、最後の最後はやはり自分なりの真実になってしまうので、しょせんは虚像に過ぎないのですが、大事なことは、上記のプロセスをきちんと経ることなのではないかと思っています。脊髄反射は危険です。特定の集団や思想に偏るのも危険です。できるだけ知識に裏付けされた論理と合理性を用いて判断し、最悪のケースでも自分の価値観と良心にしたがって判断したものであれば、少なくともその判断に対して責任を負うことができると思うのです。