かつて映画『カサブランカ』を作ったアメリカの凋落と、いま私たちが心しておかなければならないこと

映画『カサブランカ』は、1942年制作のアメリカ映画です。ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが出演し、第二次世界大戦中、親ドイツのヴィシー政権下にあったフランス領モロッコのカサブランカが舞台になっています。クラッシック映画の名作ですが、もしかしたら最近では、テーマソングの「As Time Goes By」や、何度か繰り返されるセリフ「君の瞳に乾杯」の方が広く知られているのかも知れません。昨日、急にこの映画が観たくなり、Amazonプライムで何十年かぶりに鑑賞しました。

この映画の冒頭、ドイツの侵略によって国を去らなければならなくなった人々が、中立国であるポルトガルへの出国ビザを得るために、フランスのパリからマルセイユ、地中海を渡ってアルジェリアのオランを経て、仏領モロッコのカサブランカへ向かう様子が描かれます。わたしはこのシーンを見たとき、妙な既視感に襲われました。そして、ああ、これは今のヨーロッパにおける難民流入と逆の流れなんだと気付きました。

現在のヨーロッパ、欧州連合(EU)はいまだにユーロ危機の余波の中にあり、深刻な経済的脆弱性を抱えたままです。そのうえに難民危機が重なり、第二次大戦後ヨーロッパを形作ってきた基本理念が大きく揺るがされてきています。とくに、難民問題は深刻で、英国のEU離脱、各国におけるポピュリスト政党の台頭の背景にもなっています。

中東シリアや南アフリカからヨーロッパに流入してくる難民は2016年だけでも33万人を越え、合計で1,200万人を越えると報道されています。昨年や一昨年、テレビで目にしたボートピープルやドイツに向かおうと国境にあふれかえる難民たちの映像と同じものが、全く逆の流れとして『カサブランカ』の舞台となった当時、起きていたのです。

第二次世界大戦中に発生した難民は6,000万人と言われています。この中には1,200万人の戦後東欧から脱出したドイツ人が含まれていますが、ナチスがパリに入城したころも少なからぬヨーロッパ人が自由と安全を求めて、それこそカサブランカや第三国に難民として流れ着いたことでしょう。

現在のヨーロッパで反難民の声がひろがるなか、難民を積極的に受け入れてきたのは他ならぬドイツです。メルケル首相は「難民受け入れはEUの責務だ」と繰り返し述べ、実際ドイツは100万人を越える難民を受け入れています。この背景には第二次世界大戦中に大量のユダヤ人難民を出したことに対する反省、ホロコーストへの贖罪といった歴史的教訓があると言われています。

一方で『カサブランカ』が作られたアメリカではトランプ大統領が反難民の先鋒に立ち、英国のメイ首相も移動の自由を標榜するEUから離脱しようとしています。かつて自由を求めてナチスドイツと戦ったアメリカと英国が、かつてナチズムを生んだドイツとすっかり立場が逆転してしまったようにも見えます。

カサブランカでビザの発行を求め、リスボンへの便を待つ人々が最終目的地として選んだのがアメリカ合衆国でした。この映画が撮られたのが1942年ですから、まさにアメリカが第二次世界大戦に参戦した翌年です。そのため、自由なフランスと反ナチスを強調するプロパガンダ映画であると言われたこともありますが、制作者も俳優たちも、おそらくは誇りを持って撮影に臨んだでしょうし、胸を張る気持ちもあったのではないでしょうか。

ボガートやバーグマンがいまのアメリカやヨーロッパを見たら、どう思うでしょうか。あのレッドパージのときにも毅然として反マッカーシズムの姿勢を変えなかったボガートです。トランプ大統領のところに乗り込んでいくかも知れませんね。

世界は、あの第二次世界大戦の悲劇を、あのとき何が起きていたのかをもう一度きちんと思い起こす必要があるでしょう。日本も例外ではありません。「歴史は繰り返される」というセリフをシニカルに口にするのはカッコいいですし、年老いた人々を老害と罵るのも若者の特権でしょうが、それと歴史の教訓を見てみぬ振りをするのは別のことです。左右に偏らない確たる視座は、歴史を学ぶことからしか得ることはできません。わたしは『カサブランカ』を観て、ラブロマンスとしての映画を楽しむと同時に、いま一度、世界の近現代史をきちんと復習しなきゃならないな、と感じました。