映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』に見る主人公キャラの難しさ

先日用事で東京に行った際、帰りの飛行機までの時間を利用して映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』を観ました。トム・クルーズが主人公を演じていることもあって話題にもなっていましたので、『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』とどちらを観ようかと悩んだ挙げ句、こちらを選びました。

この映画は1999年に公開された『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』のリメイク(実は1932年に公開されたカール・フロイント監督の『ミイラ再生』の3度目のリメイク)作品です。これだけ何度もリメイクされるということは、ミイラものというのはゾンビものと同じく、アメリカでは人気のある素材なのでしょうか。

映画そのものは少々ご都合主義の過ぎるハリウッド映画という感想しかないのですが(ラッセル・クロウが出演していたことに驚きました。大物俳優はたまにこういう映画に出るからびっくりしますね)、個人的に一番印象が残ったのは「主人公のキャラ立ての難しさについて」でした。それはわたしが主人公のニック・モートンがどうしても好きになれなかったことと関連しています。

アメリカ映画ではお調子者、悪ふざけ者が主人公であることが結構あります。そして、その主人公は実は善い奴で、頭も良くて腕っ節も強いのです。いま思いつくだけでも、たとえば『バトルシップ』のアレックス・ホッパーは行き過ぎだとしても、いわゆる「ケルヴィン・タイムライン」シリーズ『スター・トレック』のジェームズ・T・カーク、『インディ・ジョーンズ』のジョーンズ博士や『スター・ウォーズ』のハン・ソロ(彼は主人公ではないですが)、昔の映画では『大脱走』のスティーブ・マックイーンもかなりやんちゃなキャラとして描かれています。

わたしは個人的にはこういうキャラが苦手です。正直に言うと、この映画も半分以上苦虫をかみつぶしたような顔をして観ていました。なんでこんな男がもてるのか、大半が自分が蒔いた種であるにもかかわらず問題を最大限に炎上させ、そして勝手に解決してしまう。最後はエジプトの神が憑依して、しかもその強大な力を強固な意志で抑え込んでヒーローになるのです。あり得ない、と思わざるを得ませんでした。

しかし同時に、主人公のキャラはこれくらい癖があってはっちゃけていた方がよいのだろうかとも考えていました。もしかしたら、このキャラに対する好き嫌いが、自分の書く小説の主人公にも影響しているのではないかと思ったのです。

わたしの嫌いなはっちゃけキャラと今まで書いた小説の主人公たちを比べると、キャラが大人しくて真面目で、全然キャラが立っていないような気がしてきました。何というか、優等生過ぎるのです。これは自分の好みや性格が無意識のうちに反映してしまうのでしょう、いざ自分の書いたキャラを並べてみると、見事に同じ性格だと言っても過言ではありませんでした。

これは、はっちゃけキャラとか真面目なキャラという以前に、いつも同じようなキャラを主人公にして物語を書いているという、いわゆる「自己模倣」に陥っている可能性が出てきました。確かに、登場人物の履歴書は書いているし設定もきちんと作ってはいるけれど、結果として同じようなキャラを書いていたのでは意味がないのではないか。そして主人公以外のキャラクターについても同じことが言えるのではないか。

映画としては今ひとつの印象しかなかった『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』でしたが、自分が書く小説の主人公たちを見直すきっかけをくれたという意味では観て良かったなと感じています。はっちゃけキャラも悪くない。なぜなら、はっちゃけキャラであれば物語を荒唐無稽にしても不自然さがなくなるからです。それがアメリカ映画ではっちゃけキャラが多い理由なのかも知れません。

テーマがキャラクターを決め、キャラクターによってプロットが紡がれます。逆にキャラクターを練ることはよりテーマを深めることにもなりますし、プロットの精度も上がっていくのでしょう。鈴木輝一郎先生の小説講座でも口を酸っぱくして言われることですが、やはり今一度、主人公のみならず登場人物たちのキャラクターをしっかり練り直していこうと考えています。