『まほり』はホラーにあらず。年初イチオシの本!

いま、わたしはホラーが嫌いです。子供の頃は『うしろの百太郎』や『恐怖新聞』は大好きだったし、苦手だった楳図かずおでも『猫目小僧』は読んでいたくらいなのに、いまはホラー映画も小説も苦手意識が強くて敬遠気味です。

でも、子供のころ読破した横溝正史はいまでも好きだし 、大人になってからですが京極夏彦は全部読みました。なぜ子供のころ好きだったホラーが大人になって苦手になったのか。ホラーとこれらの作品は何が違うのか。なんとなく自分の中で判然としなかったことが、今回、『まほり』を読んで氷解しました。

『まほり』は『図書館の魔女』の高田大介さんの4年ぶりの新作です。『図書館の魔女』は彼のデビュー作ですが、その完成度の高さにわたしは瞠目し、デビュー2作目を楽しみにしていました。もう書かなくなったのかなと諦めかけたときにTwitterで新刊が出たことを知り、狂喜したのでした。

この作品は読む前は本の装丁や帯から『ぼぎわんが来る』や『らせん』的なホラー要素を感じさせ、正直一瞬手に取るのを躊躇しました。でも、読み始めたら止まらない、ぐいぐいと引き込まれて一気に読み終わってしまいました。ちょうど年始の帰省のタイミングだったので郷里に持って帰ったのですが、肌身離さず、初詣に持っていって参拝の列で待っている間に読み耽ってしまったくらいです。

この作品は確かに横溝正史的な地方の陰惨な風習や、ホラーゲームである『サイレン』を彷彿とさせる舞台設定がベースにありますが、明確にホラーではないし、迷信や伝説の類を興味本位に煽る作品ではありません。それどころか優れて科学的、論理的、そして近代学問が到達した合理的精神、手法に基づく、むしろそれが主人公の作品だと思います。

わたしがこの作品が好きな理由は、主人公側の登場人物が論理的であり合理性を失わず、それを武器として徹頭徹尾揺るがないからです。そこでわたしは気づきました。わたしがいつの間にか情緒的感情的に煽ってくるホラーを嫌い、しかし同様の要素を含む横溝正史的な物語を愛するのは、探偵側が徹底的に科学的であり合理的であるからだと。

わたしは人の心が本質的に非合理でありともすれば容易に感情的迷信的価値観に逃避する弱さを嫌っているのです。そこにつけ込む宗教を憎むし、そういったものをテーマにする小説も生理的に受け付けない。だからわたしには小説は書けないとここ数年諦めていたというか、絶望すらしていました。むしろ恐怖を煽り感情を揺さぶることを忌避していては、小説は書けないと。

しかし『まほり』を読んで、わたしは作者と主人公たちから勇気をもらいました。そしてあらためて気づかされました。科学的手法や合理的精神を重んずる物語もウエットな情緒的物語を超えることができると。そして人間の強さとは、やはり不合理な因習や誘惑に負けることなく論理性、合理性を武器にして打ち克つことであると。それがわたしが小説で書きたいテーマであることを。

ネタバレをしないように書いたので『まほり』そのものの内容には触れませんでしたが、この本は面白いです。傑作。わたしは読書好きの中学生の姪に読ませたくてもう一冊購入してプレゼントしました。もしかするとこの本は彼女の人生を変えることになるかもしれません。いや、きっと変えることになるんじゃないかと予感があります。そういう本です。これは。

最後にひとつだけ。読んでいる間、なぜ作者は物語の視点をこういうふうに変えるんだろう、民族学的、史学的手法を主人公たちが取っていることを強調するためだろうかと考えていましたが、ラストの主人公のセリフで全てが氷解し、腹に落ちました。確かにこのセリフを言わせるためには、視点を固定してはいけない。物語的にも小説手法的にも見事なラストシーンでした。素晴らしかったです。