いまわたしが勤めている会社は八甲田山死の彷徨中なのだろうか

1977年に公開された森谷司郎監督作品の「八甲田山」は、毎年冬になると観る習慣になっています。高倉健と北大路欣也が大好きなので、その二人が共演している映画というだけで観ているわけです(共演作として有名なのは「冬の華」があるのですが、ヤクザ映画があまり好きでないので……)。

今年は暖かいのですっかり観るのを忘れていたのですが、昨日窓を開け放って綿入れを着込み、DVDをPS4にセットして鑑賞いたしました。いまさらストーリーを語ってもしょうがないのですが、今年はいつもと違う感慨がありました。どういうことかと言いますと、悲劇に襲われる青森歩兵第五連隊が、どうもいま勤めている会社の現状とダブってしまうのです。

わたしがいま勤めている会社は創業数年のベンチャー企業です。本来であれば若々しいエネルギーに満ちて夢と希望に溢れている状態のはずなんですが、どうもそんな気がしない。社員はバラバラで、エグゼクティブたちはお客様や社員を顧みず、 IPO目指してまっしぐら。

確かにまだ未熟な会社なので組織もきちんとしていないのもしょうがないし、いろいろと仕組みができていないのはしょうがないのですが、本来ベンチャー企業にある強いトップのリーダーシップもないし、風通しの良いコミュニケーションもない。社員は個々は優秀なんだろうけどそれぞれ自分の仕事しかしないし、横と連携することもしようとしない。そして彼らと話すと、他人や体制に対する不満しか出て来ないのです。

で、八甲田山です。青森歩兵第五連隊の神田大尉は優秀な人なんだろうけれど、物語が進むにつれてどんどん精彩を欠いていきます。本来は自分が指揮を執るはずだったのが雪山の知識も無く状況把握もできない上官に指揮系統を奪われ、上官に抗うこともできず、しかし責任感は強いから何とかしようと無理を通してしまう。

あかん、これ、わたしじゃん(わたしは優秀じゃないけど)。バラバラの人心をなんとか一つにできないかと自分の仕事ではない役割も引き受けて組織にとらわれずいろいろ動いてはみたものの、彼らはわたしに依存するばかりで自分たちでなんとかしようとしない。人に言うのは早いのに自分がやるべきことはいつまでたってもやらない。

今一番やらなければならないのは安定したアーキテクチャの確立、開発部門のプロセス、体制の構築、優秀なエンジニアの離職対策なのに、無茶な案件を取ってきてただでさえ足りないエンジニアを消費するエグゼクティブ。できもしないサービスレベルをお客様にコミットして大規模案件を取ろうとする営業。

ヤバい。いまわれわれは、八甲田山を彷徨しているのではないだろうか。IPOという目先の目的に追われてあと2キロしかない田代に至ることもできない。われわれは猛吹雪のなか、馬立場から賽の河原に入り込んでしまったのではないのか。次々と斃れていくエンジニア、次々と辞めていくメンバー、そして最期に残されたのは墓標となったコンピュータの周りに散乱する凍死体の群れ。

しかし、山田少佐のように拳銃自決なんかできないだろうな、うちのエグゼクティブたちは。IPOで金持ちになったらさようならなんだろう。

「天は我々を見放した」……

のかも知れないと、例年にはない感慨を持ったのでございました。