『鬼平犯科帳』の「本所・桜屋敷」を読むたびに思い出すのは、小学校6年生から中学校にかけて好きだった女の子のことである。
その子の髪は、生まれつき赤毛とも言って良いほどの明るい茶色で、肌は透き通るように白く、体格も他の同年の女の子たちと比べると少し大人びているようにも見えて、恐らく、大人の目から見ても目立っていたであろうと思う。
いま考えると、わたしはその子に明らかに恋をしていたのだったが、金田一耕助の真似をして髪の毛をぼさぼさにして頭垢を落とすのがカッコいいと思っていた程度の子供だったので、当然告白するほどの能もなかったし、遠目に見てなんとなく幸せな気分になるだけで十分であった。
今でも覚えているのは、何度かその子の家まで友達と遊びに行ったことがあったからであろう、その母上から母親参観日(当時は父親が来ることなどあり得なかったからこう呼ばれていた)に、「この子をお願いしますね」と言われたことだ。
もう中学生になっていただろうか、悪友たちと廊下を走っているときに声をかけられ、なぜそんなことを自分に言うのだろうという怪訝な気持ちだった記憶はあるけれど、自分がどう返事をしたのかは覚えていない。
そしてわたしは高校生になり、大学からは郷里を出て東京に住み、東京で就職した。それなりにいろんなことがあって、わたしはすっかりそのことを忘れていたのである(彼女のことは、甘酸っぱい想いとともに時折胸に去来した程度であった)。
社会人になって15年ほどして、わたしは彼女の名前を思わぬところで目にすることになる。
当時わたしの部下に、昼間はIT関係の仕事をしながら夜はバーテンダーを目指してバイトをしている女性がいた。まだ30歳手前だが既に離婚歴があり、なかなかに伝法な気風で腹の据わった人だった。彼女とは夜は深夜まで飲み歩くほど仲良くなったのだったが、ある日、彼女が日本バーテンダー協会のカクテルコンクールに参加することになったと聞いた。
その際、わたしは女性のバーテンダーが男社会であろうバーテンダーのコンクールで上位に入ることなんてあるのか、と訊いたのだ。彼女は憤然として、あるのだと反論し、彼女の10年以上先輩に全国コンクールで優勝した素晴らしい人がいると言った。そしてその人はわたしと同い年であるだけでなく、郷里も一緒であることを明かしたのだ。
郷里が一緒であると聞いたわたしは、その人の名前を訊いた。まさか、と思った。そう、小中学校の時に密かに思いを寄せていたあの人の名前だった。
わたしはネットで検索し、彼女が郷里の繁華街でバーを経営していることを知った。彼女がコンクールで優勝したことは、地元新聞にも載っており、その情報がネットにもあったのだった。
それから何度も郷里に帰る機会はあった。何度もそのバーの名前を検索して場所を確認することもあった。しかし、わたしはその後10年近くもそのバーを訪れることはなかった。
「本所・桜屋敷」は、まだ本所の銕と言われていたころの主人公長谷川平蔵と、その剣友岸井左馬之助が思いを寄せていたおふくと、それぞれが歳を経て、思いもよらぬ形で再会するというエピソードだが、まさにこれを読むたびに、この幼いころの想い人を思い出すのである。
実は、彼女とは昨年本当に40年ぶりに再会を果たしたのだが、本篇とは異なって、容姿もたたずまいも昔のままの彼女は、良い歳の取り方をしたのであろう、背筋も心持ちもすっきり伸びた、素晴らしい女性になっていて、わたしは内心、心の底から胸をなで下ろしたのだった。
そして、女手一つで店を切り盛りしている彼女が、いまだに独り身であることを知ったわたしは、あのとき、彼女の母親から掛けられた言葉を、なぜもっと深く考えて受け止め、もしかしたらあの時成すべきことだったことをやらなかったのだろうと、密かに悔悟の念に苛まれたのであった。まぁ、これもまた、男ならよくある妄想の類いではあるのだが。